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#08 co-labスペシャル対談「創設メンバーが10周年を振り返る」田中陽明(co-lab)×長岡勉氏(POINT)

写真:#08 co-labスペシャル対談「創設メンバーが10周年を振り返る」田中陽明(co-lab)×長岡勉(POINT)

田中陽明(co-lab企画運営代表)
HARUAKI Tanaka

長岡勉(POINT)
BEN Nagaoka

co-labは今年、10周年を迎えました。

まだシェアオフィスやコワーキングという言葉も聞き慣れない10年以上前、渋谷区宇田川町のビルでco-labの原型になったR5Rというオフィスは3日でなくなるというトラブルスタートでしたが、その後、六本木、三番町を経て、いまの4拠点に至ります。

今回は、その10年間をすべて見てきた二人、co-lab企画運営代表の田中陽明とpointの長岡勉氏による対談をご用意しました。

co-labがどのようにして生まれ、場づくりが行われていったのか。創設期を知る二人だからこそ語ることのできる、co-lab誕生秘話をどうぞお楽しみください。

聞き手:山崎美緒(co-labナレッジファシリテーター)

当時、日本では珍しかったスクウォッタリングのような形態をとり、
高速道路脇のインテリジェントビルでクリエイターの集合体が誕生した

田中:勉ちゃん(長岡さんの愛称)とは、co-lab創設期から一緒に過ごしてきました。そこで、10周年になるこのタイミングにco-labの10年間について二人で振り返っていけたらと思い、今回この場を設けました。まずは、co-labがどうやってスタートしたのか、その経緯を語っていきましょう。

長岡:初代のco-lab(六本木)の前から話したほうがいいのかな?

田中:うん、そうだね。ウェブサイトではco-lab六本木からのスタートって書いているけれど、本当の始まりはco-lab六本木ができる前、渋谷の宇田川町にあるビルのフロアーオーナーから「スポンサーになってあげる」と言われて、30人くらい友達を集めたときからだったからね。みんなで内装工事をして楽しく作っていたんだけど、いざオープンしてから3日後に、そのオーナーの会社が不渡りを出してしまい急遽撤退、無念にも閉鎖することになった。立て替えていた工事費の請求をオーナーの会社と交渉する必要があって、それに付き合ってくれてたのが勉ちゃんだったよね。

長岡:そうそう。その当時、森ビル文化事業部さんがアーク都市塾っていう社会人相手の学校を開催していて、僕がAAD(アート、アーキテクチャー、デザイン)スクールの助手をやっていたんだけど、ハルマキくん(田中の愛称)の宇田川町でのプロジェクトをリベンジするのにちょうどいいスペースがあるよって教えたという経緯があるよね。

田中:その縁で森稔会長(当時)にプレゼンする機会を作ってもらえたんだよね。

長岡:うんうん。でも、今思うとco-lab六本木って相当むちゃくちゃだった(笑)。目の前に高速道路があったから車ががんがん通っている、うるさい環境ではあったけど、音を気にせずに夜はテラスもものづくりのスペースとして明らかに使ってしまっていたし。



■co-lab六本木の様子

田中:ヨーロッパで不法占拠をして空き家スペース活用することを「スクウォッタリング」っていうんだけど、当時世界のそういう場所のリサーチをしていた東大の建築学科の研究室の人達がco-lab六本木にきて、「日本にそんな場所はないだろうと思っていたら、森ビルの中にあった!」って驚いてたくらいだから。

長岡:ハルマキくんはそういう意識を強く持っていたよね。本当のクリエイティブな場所って、硬直した状況を撹拌(読み:かくはん)するような緊張感が根底にあるものだから、その状況設定をすることを重視していたよね。森ビルの中でのこのプロジェクトは、日本の状況に合わせて合法的にアレンジして存在させていたんだよね。いまシェアオフィスは、社会的な意味が出てきているから増えているけれど、あのときはゲリラ的に入り込んで場所をひっくり返していくことでしか生み出せなかったよね。

山崎:co-labを始めるときの入会メンバーはどのようにして集めたんですか?

長岡:ハルマキくんの知り合いが8割くらいだったかな。

田中:最初は知り合い伝手で30人くらい入ってもらい、そのあとは口コミで20人くらい増えたんだよね。当時はシェアオフィスとしてのルールが整備されていたわけじゃなかったし、森ビルさんに世話をしてもらって、なんとなくやっていけていた感じだったかな。

山崎:それにしても、プレゼンで森ビルさんがそれをよく理解してくれましたね。面白そうだなと思ってもらえたから、co-lab六本木は誕生したのでしょうか?

田中:その当時は2003年ビル余り問題というオフィスビルの供給過多が社会問題になっていて、都内にビルが余っていたから、使っていいよっていう話を結構もらえていたんだよ。

長岡:確かにそうだよね。co-lab六本木を閉じることになったときも、他のビルからうちで展開しないかっていう話がいくつもあったもんね。

田中:それにしても僕らのアーティスティックな行為を受け入れてくれる森ビルさんは、やはり普通のディベロッパーじゃないなと思う。あのアバンギャルドさは、森稔社長、亡き後も引継いでもらえると日本社会も面白くなるのになあ。

ものづくり工房が併設されたco-lab三番町の運営を通して、
プラットフォームとしてのco-labを意識しはじめた

写真:co-lab三番町(その1)
■co-lab三番町の様子

田中:確か当時は、リノベーションの先駆けとされるホテルクラスカがオープンしたり、東京R不動産が開設されたり、ブルースタジオが実績を延ばしてきたりしていて、不動産をソフトと捉えたいろんなプロジェクトが立ち上がった時期だったよね。

長岡:そうだよね。co-labも六本木から離れるタイミングのときに、IDEE・Rプロジェクトから場所があるっていう話をもらって、三番町に移ったんだよね。

田中:そうそう。RプロジェクトがIID世田谷ものづくり学校を作るときに、参考としてco-labを見に来ていたことがあって、それの縁だよね。「co-labを閉鎖しなくちゃいけないんだって?」っていう話になって、「じゃあ、Rプロジェクトでビルを借りるから一緒にやらない?」っていう話になった。それが三番町のビルだった。千代田区三番町ってちょっと、クリエイター向きの場所ではなかったけどね。

長岡:あのときのハルマキくんは本当にすごいって思っていたんだよ。

田中:どうして?

長岡:5フロアーもあるビルだったから、まず100人くらい集めなきゃいけなかったじゃん。そのときハルマキくんは、「ぜんぜん大丈夫でしょ」みたいに余裕のある感じでさ。「すごいな、この人」って思ったんだよ。co-lab六本木にいた人数の1.5倍くらいまで増やすっていう話なら、まだわかるんだけどさ。

田中:co-lab六本木には50人いて、そのうち30人くらいが来てくれたんだよね。co-lab三番町はその人たちのおかげで入居率30%スタートが切れた。スタートとしては結構いい数字だよね。

長岡:co-lab三番町のスタート時期のことは、すごく覚えてるんだ。ハルマキくんが先に見に行って「三番町よかったよ」って言っていてね。ものづくりができる場所を確実に確保できることが条件だったから、工房を作れるスペースもあったって言っていたよね。1階がガレージみたいだったから、そこを工房にしたらどうだろうっていう話でさ。

田中:co-lab三番町のビルは雰囲気がすごくよかったよね。

長岡:上の階は明るくて、下の階はほのかに暗いガレージみたいな感じだったよね。ガレージを開けて、ものづくりを始める感じが面白かったよ。co-lab三番町が、co-lab六本木とco-lab渋谷アトリエの間を繋いだ感じがするなぁ。あの建物は決して天井が高かったわけじゃなかったんだけど、シェアオフィスのブースタイプとしては意外と解放的だったし、年期の入った建物のあの感じも悪くなかったじゃん。

写真:co-lab三番町(その2)
■co-lab三番町の様子

田中:光がさんさんと入ってくるビルだったよね。「気」がいいビルだった。道路に大きくせり出した大樹に守られていたよね。そう、隣の早川書房の社長自邸は、バブル期に住宅地での最高価格だったというのも何かあるね。

山崎:co-lab三番町には、どのようなメンバーの方がいらしたんですか?

田中:インテリア、グラフィック、ウェブ、それに加えて「つくる系」の人がいる感じだったよね。

長岡:バランスが面白かったよ。グラフィックデザインをしていた方がいたんだけど、その方は素潜りが得意で世界大会で入賞するような人だった。その人が魚を突いてきてくれて、それを下ろしてみんなで食べたりして、楽しかったよね。

田中:当時は、TOKYO ART BEATが立ち上げをやっていたよね。グリーンズの兼松くんやnumabooksの内沼くんもそうだったね。

長岡:そうだね。co-lab三番町になってから仕掛けづくりをやる人が混ざってきたんだよね。

田中:その時期、そのタイミングで時代を作っていく感じの人がいたよね。いまはもう退会しているけど、co-labはシェアオフィスであり、プラットフォームであるという形をとっているから出入りが自由。プラットフォームだから、会社と違って、退会した後でも関係を続けていける形になっていて、それは新しい取り組みだなって思っているんだ。

長岡:確かに、そうかもしれないね。

写真:頷く長岡勉(POINT)

田中:プラットフォームとして、co-labを維持し続ける必要性があるなって思っているんだよね。そういう意識が芽生えたのも、co-lab三番町からだったんだよ。クリエイター個々人の集合体として、新しい時代の会社の形態のようなものをつくっていかなきゃと思い出したんだ。そうじゃないと制約だらけの空間ばかりでクリエイティブな思考を保てる場がなくなってしまって、新たなモノやコトが生まれなくなってしまうと思うんだ。

各拠点に独自のキャラクターがあるco-lab。
入会メンバーとして、もっと活用したい気持ちと構想

山崎:co-lab六本木、co-lab三番町を経て、いまは千駄ヶ谷、西麻布、二子玉川、渋谷アトリエの4拠点があります。この4拠点はどういう経緯で生まれていったんですか?

田中:co-lab千駄ヶ谷は、Rプロジェクトの副社長が退職する際に、「次の会社で事務所を用意するところでもco-labを一緒にやらないか?」って声をかけてくれたんだよね。それが2010年の2月で、西麻布がスタートしたのはその3ヵ月後の5月。co-lab西麻布ができるキッカケになったのはちょうど2年前、いまのビルの事業主をしていただいているコクヨファニチャーの社長さんがco-lab三番町に見学に来てくれたことだったんだよ。三番町を見て、「こういう形がこれからの日本の働き方になっていく」って言ってくれて、コクヨでもco-labのような場所をつくりたいっていう話になってね。2年間、場所を探し続けて、いまの建物が見つかったんだ。

山崎:二子玉川はどういう経緯で誕生したんですか?

田中:それが二子玉川のほうは、西麻布の地下スペース「KREI SALON」を東急電鉄の方が見てくれたことがキッカケだったんだ。東急電鉄さんは当時、二子玉川ライズの開発をやっていた時期で、ライズのプレゼンをするためにKREI SALONに来ていた。そのときに僕が、いろいろアイデアを話していたら「じゃあ、一緒にやりましょう」って言ってくれてね。それでco-labのスペースをカタリストBAに併設してもらったんだ。

山崎:立て続けに3カ所、連鎖するように立ち上がっていったんですね。

長岡:そうだったよね。

写真:田中陽明(co-lab)と長岡勉(POINT)

田中:それで3拠点を構えている間に、co-lab三番町の定期借家契約が切れる時期がきたんだ。co-lab三番町にいる入会メンバーを受け入れる場所が必要になって、東急電鉄さんの紹介で東急建設さんに用意してもらったビルがいまの渋谷アトリエなんだよ。東急建設さんに事業主をしてもらって、co-lab渋谷アトリエが立ち上がったんだ。

長岡:面白いなって思うのは、いまはハルマキくんがco-labを横展開しているじゃない? でも、それぞれの場所にそれぞれの性格をあるっていうことなんだよね。渋谷アトリエには渋谷アトリエのキャラクターが出来ていて、これから新しく立ち上がっていく拠点があっても、それはそれ、ここはここで運営されていくんだよね。

田中:そうだね。

長岡:割と三番町は人数が多くて、受け皿になる場所が他に必要だった。それで千駄ヶ谷をやったり、西麻布ができたりして、三番町からそっちに移った人もいた。それでも残っていた三番町のメンバーが、最後に渋谷アトリエができそうだっていう話を聞いて、流れてきた感じだよね。三番町にいた、ものづくり系の汚れ作業を行う人たちを受け入れることのできる場所、渋谷アトリエにはそういう印象があるな。

田中:あとは、三番町にあった工房機能を拡大して、デジタル版のものづくり機能を充実させた場所にしたいと思っていたんだよね。だからFabLab Shibuyaさんとも組めた。

長岡:何かを始めるときの、そういう流れは毎回良いよね。

田中:情報を追いかけているんじゃなくて、情報の只中にいるからだと思うんだ。流行っているからやるんじゃなくて、場づくりをして、その中で必要だと感じたものを取り入れていっていると、それが時代も必要としているものだったりしてる。co-labの中にいると、クリエイティブな環境にいるからそういうことを自然と知っていくことができて、それは結構、大きな価値だと思っているんだよね。co-labのメンバーの皆さんとも、そういう価値を共有できていけたらいいなって思っているんだ。

長岡:いまはそういう風に考えているんだね。co-lab六本木、co-lab三番町の頃は物理的なつながりだけでコミュニケーションを取ることができたじゃない? でも、いまはいろんな場所で展開していて、それぞれの拠点にキャラクターがあるし、それぞれの場所でイベントをやっていたりもするじゃん。co-lab渋谷アトリエを利用していてぼくがいまもったいないなって思っているのは、そういう面白そうだなって思えるものに移動時間がなくて、参加できていなかったりするところなんだよね。

山崎:長岡さんは実際にメンバーとしてco-labを活用されてもいますから、そういう実感があるんですね。

長岡:そうそう。各拠点の情報は入ってくるから、もっとうまく利用したり、参加していけたらなって思うんだよね。ぼくはいま運営に関わっているわけじゃないからさ、イベントに参加したり、メンバー同士のつながりを作る仕掛けを考えたりして、何かできないかなって思ってもいるんだ。

田中:例えば、二子玉川でやっているイベントに、EDGE TOKYOっていうものがあるでしょ? それの勉ちゃんバージョンをやるなんて、いいんじゃないかって思うんだよね。建築系のテーマを設定して、イベントの構成とかを考えて勉ちゃんが主導してもらうとかさ。

(最後に)

公募型のシェアオフィスという形態はほとんどなく、コワーキングという考え方もなかった2003年からスタートし、ここ数年ブームになっている2013年に10周年を迎えたco-lab。

各地域に拠点を構え、今後はさらに横のつながりを生み、クリエイティブ・イニシアティブを実行しながら街づくりや様々なクリエイションなどに還元していきたい。拠点を股にかけたコラボレーションやコクリエーションの誘発を目指していくことになります。

そんなタイミングだからこそ、創業期を創設メンバーが振り返り、co-labのアイデンティティを感じることは大事なことでした。

これから入会を希望される方にも、いま入会なさっているメンバーの方にも、co-labともっと関わって、そしてもっと活用してもらえるように、今後もクリエイターのための場づくりをしていきます。