INTERVIEW
#13 Qurz|島村卓実氏|デザイナー:後編
島村卓実
Takumi Shimamura
(まずは「#13 Qurz|島村卓実氏|デザイナー:前編」から)
デザイナーが直接フィードバックを得ること
製品をさらに高品質にしていける貴重な機会
——島村さんはミラノサローネにも行っています。海外には自ら足を運び始めたのですか?
島村:ええ。初めは東京デザイナーズブロックに、あるお店の一角として小規模で参加しました。すごく反響が良くて、『日経デザイン』に特集された後、『i-D magazine』にも載りました。その反響も大きかったので、「海外マーケットにマッチした製品だ」と思ったのです。そこで海外の友人を頼って、ミラノに行くことにしました。
ミラノサローネでの展示をきっかけに、ブースで説明、自分から積極的に販売することが製品のプレスにも効果的だということに自然と気付きました。その後、世界中の展示会、ミラノからロンドン、ニューヨークへと回ることになりました。
よくわかったのは、デザインをやりながら販売チャネルまで入っていくと、マーケットにおけるデザインの最適な形が見えるということです。見てくれた人がいろんな意見を言ってくれるから、製品をどんどん良くしていける。だから今もその方法を取っています。海外で発表して、日本で売っていくスタイルに切り替えていったのですよ。その方が自身のデザイン力の向上にもつながり、ビジネスとしてのクライアントの可能性も広がりますから。
——ミラノサローネへの出展が今の働き方に繋がるキッカケになったのですね。会場ではどのように過ごしていましたか。
島村:朝10時から夜10時まで、毎日出ずっぱりでした。雑誌のプレス用に出していたこともあったから、毎日来てもらえていたのですね。
展示ブースでは、ワインと食事を用意しておくように、と教えられていて、そのセッティングに予算をつぎ込みました。「みんな、飲食できることを知っていて来ているから、用意しておかなきゃダメだよ」と。そのおかげか、世界中で認知されるのも早かったのかもしれません(笑)。
東京では、デザインウィークのイベントへの初出展でMoMAと出会い、すぐに販売されることになりました。MoMAのカタログに載せてもらうには1年掛かると言われているのですが、3ヵ月で載せて頂けたことも有り難いことでしたね。
ニューヨークに行った時には、地下鉄に商品の宣伝が出ていて、その反響が大きくて、ニューヨークではまるまるブースごと買って頂くことにもなり、影響力の高さに驚きました。本当に日本の物はウケが良くて、驚きました。「ナチュラルな製品の上、自然素材がここまでのディテール精度で完成し、3D成型している木が美しい日本のクオリティ」と好評でした。
ちなみに、どうして世界中を回ったかというと、真似されてもおかしくない状況だったからなのです。自分で足を運んで、一カ所ずつ私たちが作った商品だということを広めていきました。
フランクフルトに行ったときはテレビ番組の『ガイアの夜明け』の取材が帯同していたので、また反響が得られました。日本に帰ってきたら数千個もの注文が一気に入っていて、工場がパンク寸前だったほどです。
10年継続してきた結果、
売れる当たりを付けることができるようになった
——海外の展示会と言っても、一見さんではなかなか入れませんよね? どんなコミュニケーションを重ねれば、海外に受け入れられていくのですか。
島村:海外の展示に何回か通うことで、向こうの人脈ができあがっていったのです。人から人へと紹介されて。デザイナーをサポートしている海外の会社からコンタクトを取られたこともありました。日本人だけれど、イギリスの会社がサポートしてくれて、政府の助成金を少し頂いたこともあります。
展示会に通うと、私のようなデザイナー起業家から世界のデザイン展示会情報が流れてくるようにもなります。「あの展示に出たほうがいい」と。すべて通い続けた結果です。2005年から、年に3〜4回は出展していましたから。
——同じように海外で出展している日本人デザイナーはいますか?
島村:日本人には数人しか出会っていません。その方々も海外在住です。日本での仕事がベースになっていると、出ていきづらいですよね。出展していても、発表をデザイナーがしていないのです。手助けをするとなると、デザイナー本人の説明が必須なのです。
例えばファッションであれば、春夏と秋冬でコレクションがあります。コレクションには必ずデザイナー自身がプロポーザルの場として登壇しています。コレクションで発表しても実売はその半年先なのです。プロダクトデザインだと、発表する時が販売するときになってしまっている。それでは無駄が多いというか、販売しても失敗する可能性が高く残っています。
だから私たちは出展から販売までの時期をズラしています。3ヵ月くらい期間を置いて、デザイン修正を行う。それはデザイナー自身が展示会場に立つからこそ、できることなのです。工場とデザインのやりとりをしているだけでは、市場に問えませんよね。製品を出展してみて、「サイズや色が違う」と話しかけられる場合は往々にしてあり、それを確認しに行っています。注文を取りながら、どこまで買って頂けるのか把握することが多いのです。
——日本の場合、最終的に「これで売り出そう」とジャッジを下すのは誰ですか?
島村:日本の会社の場合は商品企画や取締役、または社の代表であることが多いですね。工場やデザイナーにはジャッジをゆだねなくて、だから工場やデザイナーが知らないまま製品になってしまうことが多い。製品になる前に知っていれば、改良することもできると思うのです。自動車であれば、投資額が何千億円にもなりますから、もったいないと思います。それを避ける意味でも、この手法(クリニック手法という)は良いのです。
着実に売れる物を作るということはとても難しい。デザインということよりメーカーの体制にも関わってくると思います。多くの注文がきてもさばけないというのはよくあるので。デザインから販売にいたる工程で、会社の体制やマネージメントもシステムから構築しなければ、適切な販売のジャッジを下すことは難しいのだと思います。
——島村さんのような働き方を10年も続けていると、売れる確率が分かってくるものですか?
島村:外さないようにしているというか、初期発表ではずれていても、その失敗がまた次の成功を生んでくれる場合が多いのです。今のマーケットにはなく、斬新なデザインと企画で売れるものを精査して形に落とし込んでいく作業の連続だと思います。
(最後に)
「システム作りから関わりやすいのは、何か新しいことをやりたいと思っている場合の多い中小企業」だと島村氏は言います。ただし、「地方の企業とビジネスを始める場合は、コミュニケーションを円滑にするまでに時間が必要です」と補足してくれました。島村氏自身、プロジェクトがスタートするまでに1年と半年の月日を重ねて、関係性を作ってから仕事を始める場合があるそうです。
根気強く、丁寧に仕事を進めて行くことが求められるぶん、島村氏のような働き方を確立するのは容易なことではありません。でも1度生まれた関係性は、他には変えがたいビジネスの機会にも繋がることでしょう。インディペンデントクリエイターがイノベーションを起こすには、ビジネスベースで物事を進めていく力が不可欠です。クリエイティブとビジネスの両立を実現している島村氏の働き方は、きっと若手クリエイターのお手本になる物だと確信します。