INTERVIEW
#16 有薗悦克氏 | co-lab墨田亀沢:re-printing/チーフ・コミュニティ・ファシリテーター
有薗悦克
Yoshikatsu Arizono
墨田という街にクリエイティブなビジネスと活気を創出する場として、2015年2月にスタートしたco-lab墨田亀沢:re-printing。「ものづくりの『職人』と『クリエイター』が出会い、化学反応が起きる『場』」を目指して動き出してから、約一年半経ちました。
有薗氏は、1974年東京生まれ。大学卒業後、大手フランチャイズチェーンに入社して、店舗開発や資本業務提携業務などを経験。32歳でJASDAQ上場の小売りチェーン企業に転職し、執行役員として企業再生に携わってきました。2013年に家業を継ぐために株式会社サンコー経営企画室に入社し、2015年よりco-lab墨田亀沢の事業主として施設立ち上げ、以降チーフ・コミュニティ・ファシリテーターとして企画運営を担当しています。
一般的なクリエイターとは真逆とも言える環境で過ごしてきた有薗氏にとって、場のオープンにより、どんな化学反応が生まれたのか、本業である印刷業へどのような影響があったのでしょうか。当初期待していた以上に得られた効果とは。
インタビュー:田中陽明(co-lab運営企画)
構成:岡島 梓
オープンから一年半。生まれた化学反応
——最初、有薗さんがco-labに興味を持って僕を訪ねてくれたのは、クリエイティブの力を必要としてくれたからでした。印刷業界再生の糸口、そして自身の会社だけでなく、墨田という地域も盛り上げたいという思いがあって、クリエイティブを取り入れようと考えられたんですよね。
有薗:そうですね。今までは下請けに徹してきたのですが、印刷業界が縮小する中、下請けで待っていても仕事は来ない。生き残るには仕事の中身を変えるしかない。ただ、技術力はあっても、町工場側はどうしていいのかわからない。そんなとき、クリエイターと組みたいと思ったんです。日常的にクリエイターと接点が持てる場をつくればいいのではないかと。
有薗悦克氏(co-lab墨田亀沢:re-printing/チーフ・コミュニティ・ファシリテーター)
——もともと有薗さんがビジネス感覚に優れているからなのか、co-lab 墨田亀沢からは、ビジネスに結びつくアウトプットが短期間で生まれていますね。
有薗:職人とクリエイターが組むと、クリエイター側に技術に対する理解が深まり、デザインの仕方も変わってくる。お互いが対等に意見を出し合える場ができたことで、化学反応が起こっている気がします。
また、クリエイター側がつくりたいものがあっても、どこに頼めばいいのかわからなかったり、町工場は仕事を依頼されても形にできず、見送ったりする場合もあった。そんなとき、お互いを紹介し合って、実現に向けて相談できる場になっていると思います。そこから、今まで考えつかなかった仕事が生まれていますね。
——この歯ブラシもそうですか?
有薗:そうですね。これは、地元の町工場が発注元から「100パターンのデザイン」を求められ、手伝ってほしいと相談がありました。私たちの分担は70パターン。7名のデザイナーさんに10パターンずつお願いしました。co-lab墨田亀沢でクリエイターとの信頼関係ができていたからこそ完成した仕事ですね。
クリアな歯ブラシをつくる職人の技術力と、デザイナーの力で完成させた「100通りのデザイン歯ブラシ」(中国のECサイトで販売)
職人とクリエイターが対等に話せる場
——クリエイターと組むことで、本業である印刷業に変化や、バリューアップはありましたか。
有薗:一番は、印刷物の制作には、デザインフィーや進行管理費、企画費がかかるものなんだと、社員が理解したことかもしれません。今までは、紙代と印刷代だけが先方に請求できる金額でした。co-lab墨田亀沢に集まるクリエイターと話して初めて、デザイン業務にどれだけの手間が掛かっているか、そしてその作業の相場を知ることができたんです。営業社員に向けてメンバーさんにセミナーを開いてもらい、紙代や印刷代以外の費用の相場感や必要性を学ぶ機会をつくりました。また、クリエイターが企画に携わったことで、営業社員も「うちはデザインも進行管理も、プロのクリエイターが行っています」とクライアントに言えるようになった。
——それは、場をつくったことの成果ですね。実は、フィーを説明できる形で入れることは、クリエイターにとっても大切です。
建築業界では、ハウスメーカーの設計費はサービスという慣例が横行しています。建築家が設計に関われなくなり、街の風景が画一化してきたことを危惧しています。
有薗:クリエイターを社内に抱えていると、フィーを削られやすい可能性はありますよね。co-lab墨田亀沢は、クリエイターと工場の位置が近いだけで対等な関係。なので、営業社員がクライアントに提案する場合はクリエイターの立場も考えます。
——ディレクター的な存在が全体を仕切ることで、クリエイティブの価値をクライアントに適切に理解してもらえ、ビジネスとして成立しやすい状態が作れます。可視化されにくいクリエイティブの価値を認められる、アートの世界でいうと画商の役割を担う存在が、クリエイティブな社会をつくるためには必要な存在なのだと思いますね。
有薗:あと大事な変化は、印刷職人のモチベーションが上がったこと。クリエイターから相談されることで、自分たちの知識や技術が、人の役に立つことに気付いたのは大きかった。企画段階から関わると「絶対いいものつくってやる」ってやる気になってくれます。今までは、事務所への呼び出し=「何か問題があって怒られる」という図式でしたから、その反動もあるかもしれませんが(笑)。だからこそ「職人は手を動かし、クリエイターだけが考える」というように、ものづくりの現場を二分してはいけないと思っています。化学反応を起こすために、職人もクリエイターも、対等に意見を出し合える場をつくりたいです。
絵柄が異なる「世界でたった1枚の名刺」も、デザイナーと職人の対等なやりとりから生まれたプロジェクトのひとつ。
地域に開かれた交流の場
——co-lab墨田亀沢は、墨田区の助成を利用したこともあって、パブリック性を帯びる義務を負っていますよね。どのような役割を果たしていると思いますか?
有薗:私はTASK(台東・荒川・足立・墨田・葛飾区の連携ものづくりプロジェクト)の委員をしていますが、クリエイターに町工場を周ってもらった後、co-lab墨田亀沢で交流会を開きました。この場を使いサロンのように交流を深めることで、町工場を抱える自治体の活性化につながればと思っています。
TASKの交流会で集まったクリエイターと町工場の方々。リアルな場が次のものづくりにつながる。
今年からはスミファの実行委員にもなり、ミーティングや当日の印刷ワークショップの会場として開放しています。スミファは、普段は閉じている町工場を開き、クリエイターや一般の方に周ってもらうイベントなのですが、世の中との接点を感じにくい町工場の職人たちが、自分の仕事を伝えられる機会、クリエイターや個人の作り手の可能性を拡げられる機会になっています。多くの工場が変化を感じてくれたのか、参加数も去年の15社から21社に増えました。co-lab墨田亀沢を開かなければ、スミファへの参加もなかったと思うと、私自身も地域との関わり方が変わったなと実感します。
——では近い将来、有薗さんが描くビジョンを教えてください。
有薗:まだビジネスになった事例が十分とは言えないので、どんどん形にしていきたい。アイデアを持つ人と、つくる技術を持つ方をつないで広がる可能性を見てきて、今後も続けていきたいと思っています。あとは、クリエイターでなくても、地域の人が集える場でありたいですね。
——QUEST(ジュニアプログラミングクラブ)などのイベントも面白いですよね。
有薗:キャンセル待ちが出るほど人気で、小学生がこの場に溢れかえりますからね。地域の人が気軽に来られるイベントを通じて、いろいろな使い方をしてもらえたらうれしいです。
東東京の歴史はクリエイティブを刺激する
——これまでも、ものづくり支援にすごいスピードで携わっていますが、8月には東京都の「インキュベーションHUB推進プロジェクト」にも選定されていますよね。
有薗:東東京の創業者支援ネットワークの拠点として、ものづくり企業とクリエイターとのコラボレーションをお手伝いすることで、東東京にものづくりで新規創業する人達の集積を図ろうという活動です。この活動も取り込んで、墨田に新しい風を吹かせたい。町全体で、変わっていけるきっかけにしたいと思っています。
——クリエイティブの風が吹いている東東京にとって、co-lab墨田亀沢は、最初期の拠点と言えると思います。クリエイターと呼ばれる存在の多くは東京の西側にいますが、有薗さんが、彼らに伝えたい東東京の魅力ってありますか。
有薗:江戸時代から重ねてきた、ものづくりの集積や町人文化といった「歴史」はひとつの観点だと思います。今年の11月には、すみだ北斎美術館がオープンしますが、墨田で活躍した葛飾北斎は、クリエイティブと職人の中間にいた存在だと思っています。画人というクリエイティブな存在でありながら、多くの職人の技術と資源、物流、そして墨田の風景がなくては彼の作品は生まれなかった。東東京には、北斎を画人たらしめた背景がすべて残っている。これから先、co-lab墨田亀沢もそういったクリエイターに選ばれる場でありたいと思います。
——co-labのクリエイティブコミュニティの力が、ちょっとずつ東京のものづくりを変え、日本の街並みを変えていく。北斎の愛した江戸東京から、数百年を経て、また次の時代の「つくる」が始まっているようです。