REPORT
co-lab墨田亀沢の始まりからこれまで
有薗 悦克(写真左)
Yoshikatsu Arizono
co-lab墨田亀沢 チーフ・コミュニティ・ファシリテーター、株式会社サンコー 元 取締役社長
田中 陽明(写真右)
Haruaki Tanaka
co-lab運営企画
co-lab墨田亀沢:re-printing クロージング対談
2024年11月、co-lab墨田亀沢:re-printing(以下、co-lab墨田亀沢)は約9年間の歴史に幕を閉じます。co-lab墨田亀沢の運営事業者は、50年以上前に製版業として創業した墨田区の印刷会社、株式会社サンコー。co-lab墨田亀沢は、大型の業務用印刷機が並び、印刷職人が朝早くから作業をする印刷工場のすぐ上階にあります。
通常co-labは、フロアオーナーなどの事業主から委託され、春蒔プロジェクト株式会社が企画運営を行いますが、co-lab墨田亀沢は、事業主のサンコーが運営実務を行い、春蒔プロジェクトは企画運営協力を行うという初の体制になりました。
今回は、co-lab墨田亀沢の誕生に至る経緯、そして、この9年間でどんなことが起き、どんな成果が生まれたと言えるのか。co-lab墨田亀沢の運営実務を担ってきた、株式会社サンコーの有薗さんと振り返ります。
「部室みたいで楽しそう」という直感から、隅田川を越えたco-lab
田中 co-lab墨田亀沢のオープンまでを振り返ると、2014年の夏に有薗さんから春蒔プロジェクトに問い合わせをいただいて、co-lab渋谷アトリエで面談したのが始まりですね。
有薗 そうですね。サンコーが入居しているビルの空きフロアを何とかできないか、サンコーが印刷業界で生き残るにはどうしたらいいか、そして、町工場が集積する墨田区を盛り上げるには……と、いろんな方面から手段を模索したときに、当時、少しずつ広まりつつあった「シェアオフィス」の存在を知りました。シェアオフィスの運営に挑戦することで、本業の印刷にも何か変化が起きるのではないかと感じて、いろいろと探し回っていたとき、co-lab渋谷アトリエ(2017年6月でプロジェクトを完了)を通りかかったら、たまたま扉が開いていたので、思わず忍び込んだんです(笑)。
田中 そうだったんだ(笑)。
有薗 なんだろう、高校の部室みたいな雰囲気があって、楽しそう! と直感して問い合わせしました。田中さんとの面談では、印刷業の厳しい現状、地域の町工場がどんどん廃業している状況をご説明し、新たな活路を見いだすためにco-labの力を借りたい。そんなプレゼンをしました。
田中 そのプレゼンが、とにかく熱かったんですよね。2時間ほどぶっ続けで話し合い、「co-labで何かお役に立てることがあれば」と、その場でサンコーさんとの提携を決めました。収益などは後で考えればいいかと、熱意に押された感じですね。
co-lab墨田亀沢は、事業主であるサンコーさんが運営の実務を担い、僕たち春蒔プロジェクトは企画運営協力を行うという形態で運営されており、当社にとって初めての「ライセンスモデル」です。地域に根差したサンコーさんだからこそできる地域貢献の形があると感じ、地域への還元のためにco-labのモデルを活用してもらえたらという想いがありました。
有薗 印刷会社一本だった僕たちには、空間づくりはもちろん、入居者さんとの契約書に基づくコミュニティづくりの経験は全くなかった。春蒔プロジェクトとのライセンス契約がなければ、絶対にオープンできていません。すでに都心で実績のあった「co-labブランド」を掲げられたことも大きかったです。
物事を始め、続けていく上での指針となる「コンセプトの力」を実感
田中 2015年3月のco-lab墨田亀沢オープンに向けてコンセプトを定め、「co-lab墨田亀沢:re-printing」と名付けました。地名の後に「re-printing」とつけたのは、印刷業を、クリエイティブの力で支援していくという意志を込めています。
有薗 co-lab墨田亀沢を運営する上での指針になったのは、春蒔プロジェクトさんからオープン時にいただいた「re-printing」のポスターなんですよ。9年間、補修しながらずっと掲げてきました。
それまでの人生で、ロジカルに物事を決めていくことはあっても、ぶれないコンセプトを定めて何かするという経験があまりなかったんですよね。あのポスターを掲げていたことで、今、自分が何をすべきなのかが見えたり、振り返ると、実はコンセプト通り動けていたとわかって、少し自信になったりしました。
あのコンセプトがあったからこそ、「すみだ北斎美術館」とのワークショップ開催に向けて積極的に動けたり、co-lab墨田亀沢を子ども向けのプログラミング教室「QUEST」の開催場所として使ってもらえたり、地域のみなさんが集い、地域に還元する動きを進められたのだと思います。
田中 有薗さん、いつもそう言ってくれるんですけど、僕たちにとっては「コンセプトがなく、仕事ができるんだ」と逆に驚かされたんですよ。でも、今思うと、高度経済成長期以前からある産業は、とにかく機械を回し続ければ稼げる時代を経験している。コンセプトや理念なんてなくても、右肩上がりで物心共に豊かになっていたんですよね。
有薗 そうですね。「まぁ会社体だから、理念くらい掲げておこうか」という感じで、大義名分的にコンセプトが存在していた気がします。特に近年、アーティストと出会う機会が増えたのですが、彼らは自分でテーマ設定(コンセプト決め)をしてから、表現をつくりあげていきますよね。0から1を生み出すときには旗印が必要不可欠なんだと、ようやく田中さんの言葉が腹落ちした気がします(笑)。
コンセプトの深化で実現した、職人×クリエイターの化学反応
田中 ただ、オープンしてから1年間は厳しかったんですよね。メンバーさんがなかなか集まらなくて……。
有薗 初年度は空気に貸していたようなものでした(笑)。行き詰ったところで「今のco-lab墨田亀沢は、co-lab代官山と何が違うの?」と田中さんに問いかけられ、東東京にあるco-labならではの「地域性」を大事にしようと思い直しました。大きなことを言えば、江戸時代からこの地で重ねられてきた、ものづくりの技術、町人文化といった伝統を、新たな形で受け継ぎたいというか……。
そこで、オープン1周年で、いただいたコンセプトを深化させ「ものづくりの職人とクリエイターが出会い化学反応が起きる場」というテーマを提げました。その頃から、テーマをまさに体現するような、サンコー(職人)だけでも、メンバーさん(クリエイター)だけでも生み出せないものづくり事例が出てくるようになりました。
印象的な事例としては、2016年にco-lab墨田亀沢に入居してくれたデザイン・コンサルティング会社インクデザインさんの「世界でたった1枚の名刺」を挙げたいと思います。
https://sanko1.co.jp/cat-blog/597/
それ以来、「co-lab墨田亀沢に行くと、印刷や、それ以外の相談も乗ってもらえる」といった口コミが広まり、この場を訪れる人が増え、徐々にメンバーさんも増えるという流れが生まれました。
田中 伝統工芸の世界では、職人さんが、当代のクリエイティブの力を取り入れて、新たなプロダクトを生み出すという歴史が繰り返されてきました。伝統工芸が根付く「墨田区の歴史」に着目し、印刷に携わるサンコーのプロフェッショナルたちを「職人」と定義されたことが、化学反応の始まりだったのかもしれないですね。
有薗 おっしゃる通りだと思います。この頃は、知名度を上げ、さらなる化学反応が起きてほしいという願いから、co-lab墨田亀沢でのイベントを数多く企画していましたね。ここにある年表を見ると……2015年や2016年は、月2回ほど自分たち発信のイベントを開いています。本業もあるのにアホですね(笑)。
もちろん、メンバーさんの活動の場としても使ってもらっていて、感度の高いお客様がco-lab墨田亀沢を訪れ、関心を持ってくださるといったこともありました。
経営者とクリエイターをつなぎ、クリエイティブの力を街へ
田中 地域性といえば、2016年には、東京都の「インキュベーションHUB推進プロジェクト」に採択されていましたよね。
有薗 東東京の創業者支援ネットワークの拠点として、ものづくり企業とクリエイターとのコラボレーションを生み出し、東東京に、ものづくりで新規創業する方々の集積をつくろうとする活動です。この活動の結果、サンコーやco-lab墨田亀沢の知名度も高まり、co-labのスペースを飛び出して、地域産業とのコラボレーションが生まれだしました。
例えば、co-labのクリエイターさんがサンコーの上階で活動していることを知った近隣の経営者から「有薗、クリエイターさんに相談したいことがあるんだけど、間を取り持ってよ」と声がかかるようになったんです。
そういった立場(クリエイティブディレクション)は経験がなく戸惑いましたが、自分も経営者だからこそ、経営者の悩みは痛いほどわかり、力になりたかった。さらに、クリエイターと接する機会が増え、彼らが生み出す価値、力を発揮するために必要な発注条件が見えてきたことで、経営者とクリエイターのつなぎ役を担うようになりました。地域企業の挑戦を、クリエイターがバックアップする流れができると同時に、サンコーもデザイン的な業務(上流から関わる仕事)を受注できるようになりました。co-lab墨田亀沢オープン前には下請仕事が7割を占めていましたが、2024年現在、3割まで減少しています。
田中 有薗さんは、経営者とクリエイターの間に立つ通訳者であり、クリエイティブの価値を説明してくれたディレクターだったんですね。
有薗 co-lab墨田亀沢が残せた成果があるとしたら、自社ならではのメッセージが伝わるホームページを持つ会社が、近隣に増えたことかもしれません。言葉が持つ力、デザインが持つ力を説明し、その価値に納得してくれた会社は、掲げたメッセージが社内外に伝わるようになり、ホームページがお洒落なだけでなく、事務所まで綺麗になったりしています。地域の会社が、自社の価値に気付いてイキイキ仕事をする。そんな一助になれていたなら、最高です。
個性的なクリエイターとサンコーの気合いが生み出す独自の雰囲気
田中 co-lab墨田亀沢の独自性について考えてみると、やはり立地特性によるものが大きいと感じます。メンバーさんのクリエイティブ能力は高く、東京の西側と比べても全く引けを取らないのですが、渋谷など、クリエイターが集まる場所から離れた拠点を選ぶところに個性を感じるというか。
有薗 プレゼン会(メンバーさん同士がお互いの得意分野を理解し合い、コラボレーションのきっかけを生み出す場)はいつも盛り上がりますし、その後の飲み会は、止めなければいつまでも続いてしまうだろうなと思うくらいでした。みんなで馬鹿笑いしたり、真面目な話をしたり、毎回、親戚の家に集まって飲んでいるような感じでしたね。
https://co-lab-sumida.jp/5008/
田中 co-labの各拠点を運営する立場として、クリエイターのコミュニティ醸成や居心地の良さにはこだわっていますが、やはり、運営実務を担うサンコー、ひいては有薗さんの「印刷事業を活性化させたい」という強い想いは、それ以上に踏み込んだ活動を生む原動力になっている気がしましたね。
正直、墨田亀沢はクリエイターの絶対数が少ないし、最寄り駅からも距離がある。採算を考えれば、かなり厳しい条件に置かれていた。それでも、この場をなんとか輝かせようとする、有薗さんの「背水の陣」的なオーラが、co-lab墨田亀沢の独特の活気を生み出していたんじゃないかなと思います。
単なる場所貸しとはまるで違う、メンバーさんや街の人が、co-lab墨田亀沢に関わるとイキイキとするような場のパワーを感じていました。
サンコーの提供価値を高めてきた場と、その閉鎖について
田中 いよいよ、co-lab墨田亀沢のクローズについてです。お世辞ではなく、地域にとっても大切な場所になっていただろうco-lab墨田亀沢の閉鎖は、周囲に衝撃を与えていませんか?
有薗 さまざまな反響をいただいていますが、一番多いのはやはり「残念」というご意見です。クリエイターさん、クリエイターさんを取り巻く関係各位、地域の方が集うインフラを提供していた立場として、クローズの決断は簡単ではありませんでした。
今回、やむなく閉鎖を決断した理由は、コロナ禍後の印刷業界のシュリンクが想像以上に強くなったことでした。co-lab墨田亀沢を開設した頃、サンコーは実質債務超過で、いつ潰れてもおかしくない会社でした。co-lab墨田亀沢があることで印刷業として圧倒的な差別ができ、業績を改善することができました。しかし、設備投資が必要な業種で、大きな負債を抱えたまま、業界に吹く強い逆風を押しのけて10年後の明るいビジョンを描くのは難しい状況でした。そのため、不動産市況が良いこのタイミングでco-lab墨田亀沢も入居している本社ビルを売却し負債の圧縮を図り、サンコーをシナジーの生まれる企業の傘下に譲渡することに決めました。私が社長を退く以外は、社名もそのままで印刷事業を続けていきます。
田中 これはもう、やむを得ない撤退だと思います。春蒔プロジェクトとしても、運営実務を事業主におまかせすることはチャレンジでしたし、地域や産業を盛り上げるというミッションを背負ったco-labという場で、どんな化学反応が起きるのかを9年間も見せていただけて感謝しています。
有薗 co-lab墨田亀沢が、サンコーの力になったことは間違いありません。co-labで出会ったクリエイターさんとともに仕事ができることで、仕事の領域は大きく広がりました。自社の上階でコワーキングスペースを運営し、多彩なクリエイターさんと関係性を築いてきた、日本唯一の印刷会社になれたことは、業績にも大きく寄与し、2024年は、この10年で過去2番目、ピークとほぼ同等の売上を記録しました。
田中 M&Aで別の会社がサンコーを買ってくれたとのことですが、サンコーの評価額に「クリエイティブの力」はどのくらい作用しているでしょうか。
有薗 もちろん、正確な金額で表すことはできませんが、現状、売りに出ている印刷会社が数多くある中で、サンコーは早い段階で引き取り手が決まった。品質にこだわるデザイナー界隈に社名が伝わっており、「今後も高単価の受注が増えるだろう」と評価いただけたことは、会社を買っていただけた大きな要因だと思います。
自分を大きく変えた、クリエイターとの出会いを糧に
田中 co-lab墨田亀沢オープンからクローズまで約9年という年月が経ちました。有薗さんは、この経験で何か変化しましたか?
有薗 変化しかないので、これが変わったとなかなか言えないのですが……3代目として入社して、社長になった途端、立ち位置がわからなくなったんですよね。自分は、ほとんどの社員より社会人経験も少なければ、印刷に関わった経験はさらに短い。特に技術面の知識や経験は太刀打ちができません。そんな中、co-labでクリエイターのみなさんと出会って、クリエイターはいつも、誰かの伝えたいことを受け止め、「伝わる形」にしていると気が付きました。
サンコーという会社で、もろもろ経験値の低い自分が担える役割は、取材や講演、ブログ、SNS等でサンコーの魅力を多くの人に伝えることだ。自分は、社員のように技術もない。デザインもできないし、キャッチコピーも書けない。それでも、自分の言葉で自社の魅力を語れるクリエイターになろうと、どこかで腹をくくれた気がします。
会社の魅力を伝えるためには、社員の話に耳を傾け、仕事のこだわりや会社の歩みを知らなければなりません。「伝わる形にする」というクリエイティブを自分に課したとき、サンコーという会社により愛着が持てたし、社員の魅力が本当の意味で理解できた。そう思うと、クリエイターさんと仕事をするようになって、自分の役割が見つかったし、できないことに目を向けるより、まずは、「伝えたいこと(魅力)探しから始めるか」と思えるようになった。ちょっと人間らしくなりました(笑)。
田中 そうかな……有薗さんはもともと人間臭いですよ(笑)。親の会社を継ぐというのが、そもそもエモーショナルな気がするし、「一緒に何かしたい」と感じさせてくれたプレゼンの熱は、忘れがたいものがあります。表現者と出会って、もともと持っていた人間味を表現できるようになったというだけという気がする。
有薗 照れますね(笑)。
田中 (笑)。では最後に、有薗さん、これからどうされるんですか?
有薗 まだ、白紙状態なんですよね……子どもの頃から会社を継ぐと思って生きてきたので、それ以外の道をあまり考えていなかったんです。アイデンティティの喪失って、こういうことなのかなと、正直、自分でも戸惑っています。
ただ、co-lab墨田亀沢での経験を経て、人や会社の価値を見出して、内外に伝えることの大切さを学ばせてもらいました。自分がどう関われるかはまだ見えていませんが、クリエイターがアドバイザー的な立場で経営者のそばにいる未来がつくれたら、ビジネスはもっと面白くなるんじゃないかと思っています。田中さんはどうですか?
田中 ものづくりをしている組織と組んで、場づくりをしたいという想いはずっと持っています。デベロッパーが持っている開発前のビルに、co-labが入居して、地元を巻き込みながら遊休不動産を活用するプランがあり、進めていけたらと思っています。
ものづくりへリスペクトを抱く感性は、日本特有。言葉ではないコミュニケーション、一般の人に開かれたワークショップや先進的なものづくりを推進したい。コミュニティづくりの核に、ものづくりがあるという証明をしていきたいです。
有薗 僕が「この空気感いいな」と思った、渋谷アトリエには、木工用の工作機械までありましたからね(笑)。
田中 「何かが生まれる場」というものに関心がありますね。大人が真剣に何かしている、メンバーで切磋琢磨している場は、大人も子どもも刺激を受けると思う。そういった場所を、これからもつくっていきたいですね。
9年間、「何かが生まれる場」を運営して刺激を受け続けた有薗さんは、経営能力を持ちながら、クリエイティブな発想ができる「最強の人」になっていると思うんです。僕は、タレント有薗氏のマネージャーではないですけど(笑)、この先が本当に楽しみです。
有薗 最後にたくさん褒めていただいたので、このうれしさのまま少しゆっくりして、自分にできることを探していきたいと思います。10年にわたって、本当に豊かな時間をありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします。
2016.10.20のお二人
#16 有薗悦克氏 | co-lab墨田亀沢:re-printing/チーフ・コミュニティ・ファシリテーター
構成:岡島 梓(フリーランス)